川越市役所の前に、川越城の遺構として石碑と銅像が静かに立っています。ここが「川越城 西大手門跡」。
かつての川越城の正門である、西大手門があった場所です。
派手さはありませんが、川越城と城下町の歴史をつなぐ起点として遺構めぐりにぴったりのスポットです。

この記事では、西大手門跡の概要・歴史・見どころ・アクセスについて写真付きで紹介します。
- 川越城の正門・西大手門があった場所!現在は石碑と太田道灌像のみが残る
- 江戸と川越を結んだ川越街道の終点でもあった交通・物流の要
- 電車アクセスで訪れる場合、川越城遺構めぐりの起点としてもぴったり
川越城の歴史散策・史跡巡りコースはこちらの記事で紹介しています。

川越城 西大手門跡とは

川越城 西大手門跡のある場所は川越市役所前。
跡といっても現在は石碑が建つのみです。
石碑のすぐ脇には川越城の築城者・太田道灌の立像も並んでいます。
川越城はかつて本丸から市役所にかけての広大な敷地を誇っていましたが、明治以降の解体・宅地化でほとんどの遺構が失われました。
西大手門も建物自体は現存せず、石碑と像が往時の場所を示すのみです。
川越城 西大手門跡の歴史
川越城の正門
西大手門は川越城の城郭13の門のひとつで、城の西側の正面玄関にあたる門でした。
城の表玄関である西大手(現在の市役所)の前は、伝馬問屋の置かれた江戸町で、そこを基点に南方に川越街道が江戸まで伸びていました。
松平信綱による1639年(寛永16年)の大改修でこの門を含む城郭が整備され、西大手門から西へ進む先には高札場である「札の辻」が設けられ、縦二十三条、横七十八条の概ね碁盤の目状に町割がなされました。
現在の小江戸川越一番街商店街(蔵造りの街並み)へと続く城下町の骨格も、この頃に整えられたものです。
川越街道の終点
西大手門は城の正門であるとともに、川越街道の終点でもありました。
川越街道は江戸日本橋より中山道を進み、板橋宿の平尾追分で分岐して川越城下に至る街道です。
藩主の参勤交代や物資の往来の玄関口として、江戸と川越を結ぶ重要な場所となっていました。
参考リンク
川越城 西大手門跡の見どころ
西大手門跡の石碑

川越市役所の南西にある石碑。
川越城 西大手門跡の文字が刻まれた石碑があります。
川越城郭図が刻まれた碑も近くに設置されており、城の全体像を平面で確認できます。
太田道灌像

川越市役所前に建つ太田道灌の像。
鷹狩りをしている姿で、右手に山吹を持っています。
これには太田道灌にまつわる「山吹の里」の逸話が関係しています。
鷹狩り中に雨に降られた道灌が農家に蓑(みの、雨具のこと)を借りようとしたところ、娘が黙って山吹の花を差し出しました。
これは「七重八重 花は咲けども山吹の実のひとつだになきぞ悲しき」という後拾遺和歌集にある古歌にちなんだ行動。
山吹の花が咲いているのに、山吹の実が1つもならないこと。
そして、「山吹の”実の”ひとつ」と「蓑(みの、雨具のこと)」がないことをかけている古歌。
要するに、我が家には蓑がないことをそっと伝えました。
後にこれを知った道灌が、自らの無学を恥じ和歌に関心を持ち、最終的に立派な歌人になったと言われています。
川越城の遺構・史跡巡りコースまとめ
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川越城の本丸御殿、富士見櫓跡、中ノ門堀跡、西大手門跡は、まとめて川越城の遺構・史跡巡りコースとして訪れるのがおすすめ。
本丸御殿→三芳野神社→富士見櫓跡→中ノ門堀跡→西大手門跡という順で歩くと、川越城の規模をひととおり実感できるコースです。

川越城 西大手門跡のアクセス・基本情報

川越城 西大手門跡のアクセスは川越市元町1丁目(川越市役所前)。
屋外のため時間制限なく無料で見ることができます。
最寄りバス停は札の辻。バス停から徒歩約3分です。
蔵造りの一番街から北へ歩くと自然に通り道になる立地で、観光エリアと本丸御殿や川越氷川神社を結ぶ場所にあります。








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