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【川越市】新河岸川の舟運|江戸と川越をつなぎ物品から文化を運んだ約300年の歴史

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川越の街をゆったり流れる穏やかな川「新河岸川(しんがしがわ)」。

かつてここは江戸と川越を結ぶ重要なインフラでした。
荷物や人を乗せた舟が行き来し、川岸には船問屋がずらりと並んでいたといわれています。

川越が「小江戸」と呼ばれるまでに発展した背景には、この新河岸川の舟運が深く関わっています。

この記事では、新河岸川の舟運の始まりから終焉までの歴史と文化や関連スポットをまとめて紹介します。

この記事のポイント
  • 新河岸川の舟運は1638年の仙波東照宮再建がきっかけで始まり本格化
  • 旭橋周辺の川越五河岸と、明治期に最後にできた仙波河岸が外港として機能
  • 江戸からの物資・文化が川越に運び込まれた

現代の新河岸川を楽しむなら春の舟遊もおすすめです。
桜並木のなか舟にのる春の舟遊についてはこちらの記事で紹介しています。

※ちなみに春の舟遊も新河岸川ですが、当時新河岸川の舟運で機能したエリアとは異なる場所です。

目次

新河岸川の舟運の歴史

始まりは仙波東照宮の再建がきっかけ

新河岸川は、もともと現在の川越市・伊佐沼が源頭。
和光市新倉付近で荒川・入間川に合流する小さな河川でした。
荒川を「外川」と呼ぶのに対し、「内川」とも呼ばれていたといわれています。

舟運の始まりは、1638年(寛永15年)正月に発生した川越大火がきっかけといわれています。

この大火で仙波東照宮や喜多院が焼失。
その再建用資材を江戸から運搬するために新河岸川が利用されました。

これが新河岸川舟運のはじまりとされています。

寺尾に最初の荷揚場が設けられ、その後1683年(天和3年)までに扇・牛子・上新河岸・下新河岸が次々と開設されていきました。

松平信綱の改修と「九十九曲り」

舟運を本格的に整備したのは、1639年(寛永16年)に川越城主となった松平伊豆守信綱。

信綱は新河岸川に河岸場を開設するとともに、水量を保持・安定化させるための改修工事を行いました。

このとき設けられたのが、「九十九曲り」と呼ばれるほどの多数の屈曲。
あえて川をくねくねと蛇行させることで流れをゆるやかにし水量を保ち、舟が通行しやすい環境を整えました。

自然にできた地形ではなく、舟運のために人為的に造られたものでした。

正保年間(1644〜1647年)には河道整備が進み、本格的な舟運がスタート。
「新河岸川」という名称も、こうして新しく作られた河岸場に由来するとされています。

鉄道開通と河川改修による舟運の終焉

約300年続いた新河岸川舟運に幕を引いたのは、近代化の波でした。

1895年(明治28年)に川越鉄道(現・西武新宿線)が開通。
1905年(明治38年)に川越電気鉄道、1914年(大正3年)には新河岸川とほぼ同じルートで東上鉄道(現・東武東上本線)が開業します。

荷物輸送は鉄道に取って代わられ、舟運は徐々に衰退していきました。

決定的だったのが、河川改修です。
1910年(明治43年)の荒川大水害を受け、1920年(大正9年)から本格的な河川改修が開始。

新河岸川の本流が伊佐沼から赤間川に付け替え。
下流の流路も10キロほど短縮された結果、水量が減少。
舟の運行が困難になっていきます。

1924年(大正13年)の関東大震災では、鉄道が停止したことで舟運が一時的に活況を呈したものの、それも長くは続きませんでした。
そして1931年(昭和6年)、新河岸川改修工事の終了と埼玉県からの通船停止令が発令。

川越五河岸はすべて廃止。
約300年続いた新河岸川舟運は、ここで終焉を迎えました。

その後、1934年(昭和9年)には仙波河岸跡から川越旧市街地に沿って新たに開削。
現在の新河岸川の流れが完成しています。

参考資料

川越の外港「川越五河岸」

新河岸川沿いには多くの河岸場が設けられました。
なかでも川越エリアに置かれた5つの河岸場は 「川越五河岸(かわごえごかし)」 と呼ばれ、城下町・川越の外港として機能しました。

河岸名所在開設時期・特徴
扇河岸新河岸川右岸1682年(天和2年)に河岸が形成。材木の貯木場があった
上新河岸新河岸川右岸(旭橋上流)1647年(正保4年)、松平信綱の時に取り立てられる
牛子河岸新河岸川左岸1664年(寛文4年)開設。江戸・葛西からの肥灰を受け入れた
下新河岸新河岸川右岸(旭橋下流)元禄以前の開発。船問屋「伊勢安」跡が残る
寺尾河岸新河岸川右岸1638年(寛永15年)、東照宮再建資材輸送のため取り立てられる

1774年(安永3年)には五河岸全体で問屋が30軒もの数に。
1859年(安政6年)には舟を80艘以上所持していたという記録が残っています。

河岸場周辺には、回漕店だけでなく馬方や足袋屋などの商家も建ち並び、にぎやかな町並みが形成されていました。

参考資料

新河岸川の舟運で運ばれた品々

新河岸川の舟運で運ばれていた品々は、時代や経済の発達とともに広がっていきました。

川越から江戸へ

川越から江戸へは、さつまいも・柿などの農産物、木材、絹織物、酒、醤油、綿、素麺、石炭など。

とくに川越特産のさつまいもや素麺は江戸で人気だったといわれています。

江戸から川越へ

江戸から川越へは、油、砂糖、塩、小間物、瓦物、荒物、干鰯(ほしか/肥料)など。
江戸からの鮮魚も喜ばれたと記録されています。

帰り荷として運ばれた糠灰(ぬかばい)や下肥(しもごえ)は、武蔵野の畑作農業を支える重要な肥料に。

新河岸川舟運は、単なる物流ルートではなく、江戸と武蔵野の農村地帯を結ぶ経済の要でもありました。

参考資料

新河岸川の舟運がもたらした文化「川越舟唄」

新河岸川の舟運が運んだのは物だけではありません。
船頭たちが歌った 「川越舟唄(かわごえふなうた)」 は、新河岸川舟運を象徴する文化遺産のひとつです。

もともとは「千住節」と呼ばれ、千住(現・東京都足立区)の遊郭から流行ったもの。
それを船頭たちが口ずさんでいたといわれています。

代表的な歌詞のひとつに次のようなものがあります。

ハァー 九十九曲り エー 仇では越せぬ(アイヨノヨ)
遠い水路の 三十里(アイヨノヨトキテ夜下リカ)

長い水路を進むあいだ、舟旅の気を紛らわせるために歌われたといわれています。
1970年(昭和45年)発行の『新河岸川舟運の盛衰』(齋藤貞夫編)には、77編もの歌詞が採録されています。

参考資料

舟の種類と「川越夜舟」

新河岸川を行き来した舟は、底が平らで吃水(きっすい)の浅い平田舟(ひらたぶね)高瀬船が中心。
とくに荒川流域で使われたものは「川越艜(かわごえひらた)」とも呼ばれます。

多くは、積載量は70〜80石、長さ15メートルほどの船。
米俵にして250〜300俵を積めたといわれています。
明治・大正期には「ニブネ」とも呼ばれていました。

舟の運航形態は、用途と速度によって4種類に分けられていました。

  • 並船(なみぶね):不定期の貨物船。川越〜江戸の往復に7〜8日、場合によっては20日程度かかった
  • 早船(はやぶね):定期の貨客船。天保年間からは定期船となる
  • 急船(きゅうせん):1往復3〜4日かかる荷船
  • 飛切船(とびきりぶね):今日下って翌日上るという特急便

このうち、夜を徹して人を運んだ早船が 「川越夜舟(かわごえよぶね)」 として知られています。

午後3〜4時頃に川越五河岸を出発。
一晩かけて翌朝8時ごろ千住、昼前には浅草・花川戸に到着しました。

この川越夜舟が流行ったため、陸路の川越街道の宿場は客足が減少したともいわれています。

参考資料

最後の河岸場「仙波河岸」

幕末から明治にかけて、新河岸川の舟運は全盛期を迎えます。
しかし川越五河岸から川越城の城下町までは烏頭坂(うとうざか)が。
そのため、荷馬車の費用が高くつくという問題がありました。

そこで川越商人たちは、より城下に近い河岸を要望します。
1869年(明治2年)に扇河岸から仙波までの運河の開削に着手。
1879年(明治12年)頃に 「仙波河岸(せんばかし)」 が誕生しました。

仙波河岸は、新河岸川の河岸場のなかで最も上流にあり、最後にできた河岸場です。

愛宕神社の崖下からの湧き水「仙波の滝」を水源。
川越城下の川越街道までは仙波台地を開削して切り通しを設けることで物資輸送のルートを確保しました。

仙波河岸の完成により、最も城下に近かった扇河岸は廃止。
川越五河岸も徐々に勢いを失っていきます。

仙波河岸の跡地は現在、「仙波河岸史跡公園」(川越市仙波町4丁目21-2)として整備。
河岸場跡、仙波の滝、湿性地などを遊歩道や木のデッキで巡ることができます。

仙波河岸史跡公園

【🏠 住所】
〒350-0034 埼玉県川越市仙波町4丁目21-2

【🚃 アクセス】
JR/東武東上線川越駅から徒歩15分程度

公式ホームページ

新河岸川の舟運の名残

舟運は終わりましたが、その面影は今も川越市内に残されています。

仙波河岸史跡公園

最後の河岸場である仙波河岸の跡地。
湧き水と緑が残る歴史公園です。

仙波河岸史跡公園

【🏠 住所】
〒350-0034 埼玉県川越市仙波町4丁目21-2

【🚃 アクセス】
JR/東武東上線川越駅から徒歩15分程度

公式ホームページ

新河岸川河岸場跡

川越五河岸の中心であった旭橋下流に案内板と石碑が立ちます。

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つきぃもくん

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川越の観光・食べ歩き・イベント・暮らし情報に特化した個人メディア「川越マガジン」の運営者。
東京都在住で、月に1回以上川越を訪れ、実際に体験・撮影した情報のみを元に記事を執筆しています。

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2024年から開始した川越マガジンでは取材・撮影から記事執筆、SNS運用、デザイン、マーケティングまですべて1人で担当。
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