川越城本丸御殿から少し南に歩くと、住宅街の中に木々が生い茂る小高い丘が現れます。
埼玉県川越市郭町の「川越城 富士見櫓跡」です。
かつてこの場所に、天守を持たない川越城で天守の代わりを務めた三重の櫓が建っていました。

この記事では、川越城 富士見櫓跡とは、スポット概要・歴史・見どころ・アクセスについて写真付きで紹介します。
- 天守を持たない川越城で「天守の代わり」を担った城内最高所の櫓跡
- 明治の廃城令で取り壊され、現在は埼玉県指定史跡として土台の丘のみ残る
- 本丸御殿・三芳野神社など川越城遺構めぐりのコースとセットで立ち寄れるスポット
川越城の歴史散策・史跡巡りコースはこちらの記事で紹介しています。

川越城 富士見櫓跡とは

御嶽神社が祀られているこの高台は、かつては川越城の富士見櫓が建てられていた場所。
天守閣のなかった川越城には東北の隅に二重の虎櫓、本丸の北に菱(ひし)櫓、西南の隅に三層の富士見櫓があって、城の中で一番高い所にあった富士見櫓が天守閣の代わりとなっていたと言われています。
現在は数少ない川越城の遺構として現存しており、跡地内には御嶽神社、富士浅間神社、富士見稲荷神社が祀られています。埼玉県指定史跡にも指定されています。
参考リンク
川越城 富士見櫓跡の歴史
川越城の築城と富士見櫓

川越城は1457年(長禄元年)、扇谷上杉家の命を受けた太田道真・道灌親子によって築城されました。
その後、1639年(寛永16年)に松平信綱が入城したことに伴い、三の丸などの曲輪が増築され、4つの櫓と12の門からなる近世城郭へと生まれ変わりました。
富士見櫓もこの時期の整備で現在に伝わる姿に整えられたと考えられています。
天守の代用となった富士見櫓は、基壇の高さ51尺(15.4m)、櫓の高さも51尺(15.4m)です。
江戸末期の1866年(慶応2年)に川越城を測量した記録によれば、規模は長さ八間三尺(約15メートル)、横八間(約14メートル)あったと記されています。
「富士見」の名の由来

富士見櫓の名前の由来は、文字通り富士山を望めたことによります。
現在は木々や建物のため眺望はすっかり失われてしまいましたが、その昔はこの高台に立てば、遠く富士山までも望めたとのこと。
それでもなかなかいい景色なんですけど。
明治の廃城令と現在

明治に入ると廃城令で多くの建物は解体されました。
明治維新後に川越城は取り壊しが行われ、現存する遺構は非常に少なく富士見櫓跡はその貴重な存在のひとつとなっています。
参考リンク
川越城 富士見櫓跡の見どころ
富士見櫓跡内のきれいな花手水

川越城 富士見櫓跡には数々のきれいな花手水が。
丁寧に手入れされており、季節・時期ごとに花手水や飾り付けが変わっていきます。

川越城 富士見櫓跡の階段途中にあるきれいな花手水。

川越城 富士見櫓跡の神社側にもきれいな花手水が。

かわいい飾り付けも丁寧に配置されています。
小高い丘と「川越城址碑」

川越城 富士見櫓跡は、一見木々の繁る高台のようですが、かつては天守閣を装備しない川越城の物見として使用されていた櫓の跡地。

中腹には川越城址碑が建立されています。
御嶽神社・浅間神社・富士見稲荷

丘の頂上には3つの神社が祀られています。
御嶽神社・富士浅間神社・富士見稲荷の3社で、静かな緑の中にひっそりとたたずんでいます。
田曲輪門跡の石碑

富士見櫓の入口の前には「田曲輪門跡」の石碑が建っています。
かつての12の城門のうちのひとつです。
石碑を見つけながら歩くと、城郭の規模の大きさが感じられます。
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川越城の本丸御殿、富士見櫓跡、中ノ門堀跡、西大手門跡は、まとめて川越城の遺構・史跡巡りコースとして訪れるのがおすすめ。
本丸御殿→三芳野神社→富士見櫓跡→中ノ門堀跡→西大手門跡という順で歩くと、川越城の規模をひととおり実感できるコースです。

川越城 富士見櫓跡のアクセス・基本情報

川越城 富士見櫓跡のアクセスは、川越城本丸御殿から徒歩約5分、住宅街の中に静かにあります。
川越城本丸御殿・三芳野神社からそのまま巡るのにぴったりな立地です。









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