菓子屋横丁のすぐそば、蔵造りの街並みから路地を一本入ったところに、800年近い歴史を持つ「養寿院」。
現在の川越の地域を治めた武将・河越氏ゆかりの地として鎌倉時代に創建しました。
本堂には鎌倉大仏の鋳師が手がけた国指定重要文化財の銅鐘を保存。
賑やかな観光エリアに隣接しながらも、境内は静かで落ち着いた雰囲気です。

この記事では、養寿院の見どころから歴史、アクセスを写真付きで紹介します。
- 鎌倉大仏の鋳師・丹治久友が手がけた銅鐘は国指定重要文化財
- 菓子屋横丁のすぐそばに位置しながら静けさのある雰囲気
- 河越太郎重頼の墓と伝わる五輪塔など川越の歴史を重層的にたどれるスポット
養寿院

養寿院(ようじゅいん)は、川越市元町にある曹洞宗の寺院です。
山号は青龍山、本尊は宝冠の釈迦如来。
菓子屋横丁のすぐ近く、蔵造りの街並みから西へ少し入った場所に位置しています。
旧城下町では通りから望む横道の突き当たりに寺院が配置されることが多かったとされており、養寿院もその構成。
参道の先に山門と本堂が正面に構えています。
蔵造りの街並みからわずか数分の距離にありながら、境内は静かで落ち着いた雰囲気。
観光寺院ではないため、蔵造りの街並みとはまた違った川越の一面に出会える場所です。
養寿院の見どころは大きなイチョウ!
山門前にあるイチョウ

蔵造りの街並みの路地、門前横丁からも見える大迫力のイチョウ!

養寿院といえばこの山門前の大きなイチョウでした。
毎年12月はじめ頃にはきれいな黄色に輝くフォトスポットとして有名。
ただし現在は、2025年に剪定が行われた影響で以前までのボリュームあるイチョウではなくなっています。
境内のイチョウ

養寿院の境内にもイチョウがたくさん。

大きなイチョウが2つほど養寿院境内にありました。

時期によっては落葉したイチョウの葉で黄色い絨毯に!

養寿院の歴史

養寿院の創建は鎌倉時代、1244年(寛元2年)。
河越太郎重頼の曾孫にあたる河越経重(遠江守)が開基となり、大阿闍梨円慶法師が開山しました。
河越氏は桓武平氏・秩父氏の嫡流にあたる武蔵国の有力豪族で、一族には畠山氏・江戸氏・豊島氏・葛西氏などが名を連ねます。
経重は鎌倉幕府の有力御家人として『吾妻鏡』にも度々登場する人物。
1272年(文永9年)には高野山の町石(百十一町石)を寄進したことでも知られています。

創建当初は密教の道場(天台宗)でしたが、1535年(天文4年)に当時の住職・隆専が曹洞宗大源派の僧・扇叟守慶和尚を招き、宗旨を曹洞宗に改めました。
以後、曹洞宗の禅寺として歴史を重ねます。
1591年(天正19年)、徳川家康の関東入国に際して寺領10石の御朱印状を拝領。
家康が鷹狩りの折に立ち寄ったとも伝えられています。
近郷に数多くの末寺を擁する中本寺格の寺院として、歴代川越城主からも厚い信仰を受けました。
かつては曹洞宗の専門僧堂(修行道場)としても機能し、多くの僧侶を輩出した禅寺でもあります。
養寿院のその他スポット
国指定重要文化財|銅鐘(文応元年銘)
養寿院本堂に保存されている銅鐘。
1928年(昭和3年)8月17日、国の重要文化財(工芸品)に指定されました。
この銅鐘には以下の銘文が刻まれています。
武蔵国河肥庄 新日吉山王宮 奉鋳椎鐘一口長三尺五寸 大檀那平朝臣経重 大勧進阿闍梨円慶 文応元年大歳庚申十一月廿二日 鋳師丹治久友 大江真重
銘文から、この銅鐘は1260年(文応元年)に河越経重が大檀那(寄進者)となり、開山の円慶が大勧進を務めて鋳造されたことがわかります。
鋳師の丹治久友は、鎌倉大仏の鋳造にも携わった当時一流の鋳物師です。
脇工の大江真重とともに制作しました。
川越市ホームページの解説によれば、銘文中の「河肥庄」は河越荘を指しているとのこと。
通常「河越」と書くところをあえて「河肥」の字を用いたのは、銅鐘の寄進に際して縁起のよい字(嘉字)を当てたものと考えられています。
なお、銅鐘の銘文に記された「新日吉山王宮」は、後白河法皇の時代に河越荘が京都の新日吉(いまひえ)社の社領として寄進されたことに由来。
河越荘内にも新日吉社が勧請され、現在の川越市上戸にある日枝神社がそれにあたるとされています。
河越太郎重頼の墓(伝)

本堂の左脇には、河越太郎重頼の墓と伝えられる五輪塔があります。
河越太郎重頼は平安時代末期の武将で、武蔵国で大きな勢力を持った河越氏の当主。
源頼朝の挙兵に功績を挙げましたが、娘の京姫(郷御前)が源義経の正室であったことから、義経の没落とともに命運が暗転した人物としても知られています。
養寿院には、重頼の墓と伝わる五輪塔のほか、背後に3基の板碑も残されています。
また、寺には岩手県平泉の妙好山雲際寺にある源義経と郷御前の位牌の写しも安置されているといわれています。
なお、河越太郎重頼は川越まつりの山車人形にもなっており、川越の歴史を語るうえで欠かせない人物。
重頼がなぜ曾孫・経重の開基した養寿院に墓があるのかは明確ではなく、供養塔である可能性も指摘されています。
岩田彦助の墓(川越市指定史跡)
墓地内には、江戸時代の川越藩主・秋元喬知(たかとも)に仕えた名家老・岩田彦助の墓もあります。
1958年(昭和33年)3月6日に川越市指定史跡となりました。
岩田彦助は才智に富んだ人物として知られ、殖産や開発に尽力しました。
1708年(宝永5年)には、堀兼村の窪地を古代の「堀兼の井」の地と定めて石碑を建立するなど、文化事業にも関わっています。
1734年(享保19年)に川越城内で没し、養寿院に葬られました。
養寿院のアクセス

養寿院のアクセスは菓子屋横丁や蔵造りの街並みからすぐの場所にあります。
川越の神社仏閣巡りの1つとして寄りやすい立地。
また、秋頃には山門前と境内にある大きなイチョウがきれいに。
鎌倉時代から由緒ある養寿院、ぜひ訪れてみてください。











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